関西玉翠会の沿革

1961年 母校70周年事業に際して、玉翠会本部が支部結成を依頼。それを受けた関西電力・芦原会長(当時)、辰己商会・太田会長(当時)が中心となり会員に呼びかけ、心斎橋の「東天閣」で京阪神支部の第1回公式集会を実施。その後、毎年心斎橋の「東天閣」で公式集会が開催され、50人前後の会員が参加。支部会長は当初より芦原氏が務めた。
1970~1980年代 高中部会から「そろそろ高高部会で事務局を担当する様に」との指示があり、1977年頃より、槇野氏を事務局長に昭和32年卒のメンバーで、1981年まで運営。その後、総会事務局の「卒業年次持ちまわり」という案が浮上。1951年卒(高高第2回卒)メンバーが1982年度総会事務局を担当。「卒業年次持ちまわり」が制度化され、50歳になれば担当幹事を務めることとなった。
1994年 母校創立百周年を区切りとして玉翠会京阪神支部から関西玉翠会に名称を変更。11月に第1回総会を開催。この総会において、永年にわたり会の運営に尽力された芦原会長が関西玉翠会の名誉会長に就任。それに伴って会長に藤井氏(昭和18年卒、日立造船会長)が就任した。
1996年 関西玉翠会第3回総会開催。幹事役の昭和40年卒の担当幹事(渡辺勇二郎代表幹事)の尽力で400名を越える参加者と母校から20有余名の恩師をお招きして大変な盛会となった。
1999年 4月に関西玉翠会ホ―ムぺ―ジを開設。掲示板、チヤットル―ム、各種同好会や集まりの勧誘、案内のほか、高高の校歌を聞くことができるなどの機能を盛り込んだ。
2007年 藤井会長が顧問に就かれ、樋口新会長が就任。
2013年 関西玉翠会ホームページを全面リニューアル。